現在、書き進めている「哲学する日本」のU、Vに関するものごとを、執筆過程において、ときおり公表していきます。答えではない、答えをみつけていく、問題構成の軌跡です。
思考プラチックの場所です。
「哲学する日本」Tにおいて、<非分離><述語制><場所><非自己>の哲学原理を、西欧的な<分離・主語制・社会・自己>に代わって、日本文化の言語・技術において抽出しました。
『国つ神論』において、古事記を共同幻想の観点から解読し、隠れている<国つ神>場所共同幻想が、日本書紀の<葦原中国>共同幻想とまったく異なることを 見いだしました。幻想技術の原記の発見です。この幻想技術が、場所において実定化されていかないと、同じ産業社会経済の「社会設計」が均質・均一になされ るだけにとどまります。環境論の文化的基盤を見いだしたものです。
そして、『<もの>の日本心性』(哲学する日本U)において、商品・物体の根源にある<もの>の心性の閾を抽出しました。見えない<もの>を、心的に領有 している日本人は、日本文化のなかで、<もの>を神・タマ・芸術・技術、そして言語において表出してきています。サービスは「商品」へ付随するだけで<も の。を見失っています、ホスピタリティは<もの>をつかんだ自己技術となります。日本が、世界から高く評価されているものごとは、<もの>から出現してい るからです。
「哲学する日本V」として、感覚論・こころ論は後にまわして『述語制の日本文化』として日本語言語論を執筆中です。日本語言語は、近世の語学研究、近代の 松下大三郎・佐久間鼎・三上章によって、述語制言語様式が明示されています、橋本文法・時枝国語学で、それはかき消されてしまっています。思考も技術・芸 術表現も、言語スキームから創出されます、そこに主語が無いことの述語様態がいかなる論理をもっているか、明示します。
そして、Wとして、「こころ論」へいき、Xで「ワザ論」、Yで@「武士制」の場所設計へといきます。
日本文化の地盤を、理論的にうきだたせる言説の生産です。