アカデミーの部屋





  主旨:<まなび=あそび>

あそびとは、踏み鎮めるだけではなく、いろいろの動作をして、揺るがす、魂をえぶる、魂をゆさぶって完全に人間の身に外来魂を付着させる鎮魂の意味があ る、と折口信夫は言っています。あそびをすると体内から離れていた魂が入ってくる、だから元気になります。鎮魂とはたまふりのことをいいます、外の有力な 魂を身内に導き入れる事と、身から離れようとする魂、すでに離れてしまった魂を呼び返すということです。

学ぶとは、「あそび」です、魂をゆるがす知の領有です。シビアな言語創出へむけての思考技術の錬磨ですが、愉しくないと学べません。「分からない」から 「おもしろい」のです。分かっていることを教えるなど、もっともつまらない作業です。世界の高度な知、日本の深い智恵・技術を学びます。

Re-vuertaというスペイン語があります。オクタビオ・パスに示唆されたのですが、再び戻って来るということ、それが新しさを産み出していくということです。学びもあそびもre-vuertaです。呼び返すことです。

<学び=あそび>の場所です。教育の場ではありません。
「神田」を拠点にして、いろいろな場所で学び=遊びの機会をつくっていきます。神田明神の将門公を、守護神とします。そこから、さまざまな場所の国つ神の 魂を探します。講師陣は、「サルタヒコ」機能をもって、場所魂と世界とをむすびつけていく作業をします。宗教・信仰ではない、文化の魂(タマ)です。
キモノを着て<学び=あそび>ます。キモノによる身体技術の規制は意味あります。

歴史的なタスクは、
1)「資本」をとりもどす。
2)「場所」をとりもどす。
3)「ホスピタリティ」を創造する。
4)述語制を開く。
5)非自己技術を活性化する。
ことにおいています。「文化生産」の場所となっていきます。
超領域の高度な研究生産をかねていきます。


◉Japan Hospitality Academy(JHA)

JHAを、2013年10月に、CIHから改組して、準備をはじめています。
ホームページは、以下のアドレスです。
http://japanhospitalityacademy.com/index.html
プロジェクトのディレクションは
http://www.japanhospitalityacademy.net/


■大学・学校を超えるアカデミーのありかた
大学も学校と同じ教育システムなのですが、それは教科・講座に分類し、そこの決まった時間に学生・生徒を拘束し、決められた時間・単位を消化することで、 「資格」がもらえるという仕組みです。すると、この仕組みに従属しないものは価値が無い、従属することで主体化される、しかも知識は銀行積み立てとおなじ 与えられたものをこなすこと、そして「試験」で評価される。こうした構造では、どんなに革新的なことをしようとも、実質の智恵や技術や学ぶ力は身に付きま せん。はっきりいって、80%以上は無意味でしょう。
ホスピタリティが、まったく大学のなかで教育科目にも学科にもなっていなかった、それがいま、少しづつですが、いろいろな大学でなされるようになってき た、なぜか? 商品、商売になるからです。はっきりいって、ホスピタリティのディシプリンも技術もない、経験はあっても、学問形成などなにもなされていない、それが大学でいいかげ んな既存知識でなされていく。ひどいものです。
すでに、わたしが考察してきていますように、ホスピタリティは「近代学問大系」が転移されることなしに、ディシプリンとしても自己技術としてもなされえま せん。近代システムが、ホスピタリティ的な文化次元をサービスの他律様式へ転倒させてきた、それによって近代システム形成が可能になってきたにすぎないからです。
@近代哲学原理を変える、A商品・サービス経済を変える、B主客分離の科学技術を非分離の述語技術へ変える、さらにはC政治統治システムを国家中心から場所中心へ 変える、など総体的なことをわたしは著書において示してきましたが、それはさらに「社会主義」への批判なしにはありえないことも示してきました。商品産業制度経済と社会主義的様式という近代システムは、生活・文化・環境をない がしろにしてきたものでしかない。かかる近代システムを超えることが、ビジョン・技術・設計の課題としてあるのです。
経済システムと教育システムとを分離して成立している大学システムの構造において、ホスピタリティ育成など、絶対的にありえません。ローザンヌ・ホテル大 学がなしているメソッドはまったく既存の大学とは異なりますが、大学院ができたことで、幾分の勘違いがおきはじめているのではないかとおもいますけれど、歴史的に 形成して来たノウハウは使いえます。コーネル大学は、ただの経営マネジメント、会計学をしているだけではないでしょうか。両者とも、大学化していることで の限界をこうむっています。
まったく、異なるシステムを創出することが、生産および市場を新たにつくりあげていくのです。
その基本は、わたしとしてはつくりあげています、あとは、ただ、資本投下を、待っているだけです。必要が不可避になったときに、それはなされるでしょうが、既存 の大学が、無責任なむちゃくちゃなことをして、その失敗が出現してこないと、わかられないことでもあろうと、世の停滞をひややかにみています。