日常で出合ったホスピタリティの場面・トピックスを記述していきます。
ホスピタリティが在ったケース、ホスピタリティが無いケース、そうした実際の=プラチックな出来事から、本質をさぐりあてていきます。
〔ホスピタリティについて、福原義春さんをはじめいろいろな分野の方々が語っています。
 https://www.youtube.com/watch?v=OQ1fDty9ejM
(日本ホスピタリティ財団;提供)〕




なによりも商品・サービス生産様式から資本・ホスピタリティ生産様式へ の根源的な転換は、資本主義から社会主義への転換という歴史的失敗を超えていくものと、歴史・本質的に位置づけます。この経済生産様式の転換の理論的な課 題は、商品と資本とでは原理がちがうということ、資本は利潤を利子産み資本へ転化する「不届き資本」と<資本-労働>関係の領有法則の転回において単純再 生産をしていく可能条件にたつ「つつましい資本」(なごみ資本)とでは異なるということ、つまり前者は賃労働体制を不可避とするのに比して、後者は労働者 が「資本者」となって賃労働が廃止されるということです。ここは、マルクスの『資本論』と『要綱』との論理を識別・対比しないと、見えてこない。その理論 構造は拙書『物象化論と資本パワー』に詳述。資本を悪者にしているかぎり、ホスピタリティは実現されないし、賃労働のあるかぎりホスピタリティの実際化は ありえない、と理論理念化しています。そして、商品・サービス生産は「社会」設計を必要としますが、資本・ホスピタリティ生産は「場所」設計となります。 この@商品・対・資本、A不届き資本・対・なごみ資本、B社会・対・場所、この識別・対比の理論プラチックから、経済生産様式の転移が展望されます。マク ロ経済・対・ミクロ経済の論理地平から、ここは視えてこない。フーコーの『言葉と物』の理論地平から見ていく事です。
つまりホスピタリティは、ホテルに限られたことではない、経済生産様式そのものにかかわることですが、ホテルにその模範パラダイムがあるということです。

*『学校・医療・交通の神話』『場所環境の意志』『文化資本論』『哲学の政治 政治の哲学』『物象化論と資本パワー』をお読みください。



ホスピタリティとは「自己技術」です。それは、しかし、非自己と非自己の述語関係における技術を、自分における自己と非自己の関係においてつかむことで、 構成されているものです。「おもてなし」「気遣い」「気配り」「こころ」などは、その付随要素でしかありません。サービスの高度化でもない。サービスとホ スピタリティの対比・識別化、そしてホスピタリティともてなしの対比・識別化から、それを明示しています。そして、この自己技術は、自分がおかれている述 語的場所において規定されているものであって、主体・主語の技術ではありません。述語的な場所は、いまここでこの瞬間にこの人における場所であるととも に、その場所は時代とともに変じていきます。相手の「顔を聞く」ということです、顔が語っているものを読み取ることです。顔色をうかがうことではありませ ん。主体は、判断をするだけです。ちなみにサービスは、自己の他者への他律技術であって、規範・規則の場に規制されたものです、場所は抽象化され、マニュ アルに基づいた、いつでもどこでもだれにでも同じ規則遂行です。

*『新版・ホスピタリティ原論』『ホスピタリティ講義』『哲学する日本』をお読みください。



ホスピタリティの対象は<もの>です、<もの>は見えない、触れられないものです。日本語表現に残っている「ものさびしい」「もの悲しい」の<もの>で す。日本的心性は、この<もの>を感覚的にキャッチしえる力をもっています。かつて「霊」として「神」として感得されたものですが、「もののけ」「ものの ふ」と表出され、「もののあはれ」をへて、「こころ」として想定されてきたものですが、儒教的に「道」へと変容されてしまったとき消えてきています。 「術」「わざ」は、「道」という道徳的規範ではありません。日本の精神史・思想史・文学史・絵画史において、再考していかねばならない閾にあります。道具 史にそれはもっとも顕著に、非分離の述語技術として表出しています。また日本語には主語がありません、述語表現言語です。キリスト教は、ホスピタリティを サービス=奉仕へと転じたこと(イバン・イリイチおよびフーコー参照)として批判考察されます。文化的に、ギリシャ神話からローマ神話への転化、古事記か ら日本書紀への転化、ナワ神話からアステカ神話への転化など、神話上の転化に文化の相の本質がみえます。非常に難しい、恣意的にしかひびかない閾にありま すが、本質的です。場所に<もの>が有ります。

*『国つ神論』『<もの>の日本的心性』(近刊)をお読みください。

以上三つの様式を規準にして、個別の具体局面で接した出来事にふれていきます。