日本の哲学、文化論へ 2011〜
すでに、デザイン文化技術論、都市論・建築論から、非分離・述語制・場所の日本固有の原理があることはつかんでいた、それを体系的に論じ、かつ西欧哲学原理とまったく異なる技術設計原理の可能性を日本の文化に探る哲学的考察へ歩みをすすめている。
●2011.2
哲学する日本 (EHESC出版局)

非分離、述語制、場所、非自己を、日本の文化技術、アート、言語のなかに見いだし、哲学原理の地盤を転移したもの。山本理論緒の土台であるが、それは日本に発見したもの、日本で考えられえていなかった本質存在である。生活プラチックの中に、それは潜んでいるが、表出もしている、ただ概念化・理論化されてこなかった。
●2012.1
物象化論と資本パワー (EHESC出版局)

現在生活世界は、商品の物象化、制度の物象化、社会の物象化、現実の物象化と重層的に規制されて、自分が自分自身であることができない、自己技術麻痺におちいっている。廣松渉物象化論の基本スキームをつかいながら、廣松がつめきれなかった物象化の諸様態を解析、そしてマルクス『要綱』から労働者技能=資本者の可能条件を抽出、『資本論』からは見えなくされた資本パワーの論理を、商品の論理とは異なるものとして明示した。賃労働の廃止を、提起。
●2013.2
国つ神論:古事記の逆解読 (EHESC出版局)

天つ神の視座から解読研究されてきただけの古事記解釈に対して、場所の国つ神の視座から古事記の幻想様態を解明。ナショナル国家を前提にした無意識の古事記理解にたいして、古事記に記述された神々のほとんどが国つ神であること、その多元世界は、日本書紀の葦原中国の原理とは異なることを、古事記に即して読み解いた。吉本共同幻想論の不十分さを補い、場所共同幻想の原理が国家共同幻想と異なるものであることを開示した。