ホスピタリティの発見とその言説生産 2005〜2010年
単著を、2000年から2006年まで、わたしは刊行していない。2000枚におよぶ『哲学の政治 政治の哲学』に没入していたからだ、理論総体を総括する作業に6年間没頭した。さらに、研究生産拠点を東京からジュネーブに移して、ホスピタリティの発見とその研究開発に焦点を置き、日本では新たな出版生産の装置を創出することに専念した。ホスピタリティが、日本でまだまったくなじみが無く、サービスと混同されたままであった、そのホスピタリティの独自の領域を明示し、ホテル関係者とのリンクを形成し、新たな経済開発としてきりひらく可能条件作りに焦点をおいた。

●2005
国際版 文化資本Cultural Capital:Hospitality,
Technology & Finannce(文化科学高等研究院) C

スイスのCredit Agricole銀行を主なるスポンサーにして、文化資本の設計技術原理となる「ホスピタリティ」を軸にし、日本語/英語の国際版として刊行。日本人にファイナンス能力があまりにないことの啓蒙もかねた、文化資本経営誌とした。ホスピタリティ企業リーダーの方たちのリンクを構成した。
●2006.6
トヨタ・レクサス惨敗: ホスピタリティとサービスを混同した重大な過ち (ビジネス社) 加藤紘氏との共著 B

商品にとらわれた出版意識が一般的に強いため、売れないからEHESC出版局から刊行をはじめたのだろうという人がかならずでてくるので、売れる本として、岩崎旭社長と相談し、本書をつくった、タイトルは出版社がつけた。副題が、本題である。2万部をこえた。ホスピタリティをサービスの高級化や補完とみなす風潮にたいして、原理のちがいを簡明に具体事例から示したものである。こういう書は、1ヶ月もかからずに書けてしまう、わたしの本意ではない傍流の仕方だが、加藤氏との共同作業は意味がある。
●2006.11
ホスピタリティ原論:哲学と経済の新設計(新曜社)A

ホスピタリティの哲学考察、および新経済の可能条件、そしてホスピタリティ教育の方法を体系的に論じた。いくつかの企業とのフィジビリティ開発をなしてきた、そこで実際に接触しながら、理論化したものである。まだ、配本体制が確立していないため、発売元を新曜社の堀江さんにお願いした。2006年に再版する。
●2007
教育の政治 子どもの国家 (EHESC出版局) A

 
●2008.03
新版・ホスピタリティ原論 (EHESC出版局) A

再版にあたって、新版は、内容構成を再編成し、ディスポジションして、より論理的な構造となるように修正したもので、こちらが決定版となる。配本体制をさらに整備した。第4次資本蓄積の地盤にホスピタリティ環境経済がくるということを示した。
●2009.03
日本社会イズムとポストモダン・ファシスト
(EHESC出版局) A

情報社会世界が、データ世界となり、そのビット文字の物質性から、表出度がうすれ、「社会」イズムというイデオロギーを失った規範政治構造が、全体主義化を生み出している、ネット上の第二自己がポストモダン・ファシスト化している様態を解析し、物象化の構造がその地盤にあることを示した。つまり、商品画一世界が、社会画一世界をつくり、そのうえに情報技術のデータ画一世界を構成している、総体としての未熟化が、ファシズム全体主義現象をうみだしている、わたしなりの情況論である。
●2009.5
ホスピタリティの正体 (ビジネス社)
加藤紘氏との共著 B

今回は、ホテルを主要な対象にして、加藤氏が中心に書かれ、わたしが補足した。まだまだ、サービスと混同されているホスピタリティの現象と本質とをわかりやすく明示したものである。
●2009.7
『太宰治:哲学的文学論』(EHESC出版局)
中村三春、山崎純一氏との共著

情報社会世界が、データ世界となり、そのビット文字の物質性から、表出度がうすれ、「社会」イズムというイデオロギーを失った規範政治構造が、全体主義化を生み出している、ネット上の第二自己がポストモダン・ファシスト化している様態を解析し、物象化の構造がその地盤にあることを示した。つまり、商品画一世界が、社会画一世界をつくり、そのうえに情報技術のデータ画一世界を構成している、総体としての未熟化が、ファシズム全体主義現象をうみだしている、わたしなりの情況論である。
●2010.9
ホスピタリティ講義 (EHESC出版局)

東京芸大での客員教授としての講義録を、加筆修正し、ホスピタリティのさらなる次元を明示したもの。
●2006.4
哲学の政治 政治の哲学(EHESC出版局) A

大学での環境学部、環境大学院を大学改革として構想したが、それが実現されないことに嫌気がさし、ジュネーブへ2年間の海外研修をとった。そこで、かねてから執筆をはじめていた本書を、政治理論、都市論、消費論、サービス制度論、国家論、権力論、情報世界論、イデオロギー論、言語論、身体・セックス論、ナショナリズム論、民俗論、パブリック論、場所革命論、自己技術論、全15章にわたって、世界の理論線を「世界を理解する」基本土台として論述した。世界の大転換に照応しうる理論の大転換の書だ。1500頁弱の膨大な書であり、分冊本化したなら、14冊になる。あつかったテーマは500項目をこえる。文献はかぞえていないが、1000点はゆうにこえているのであろうか。商品化しえない代物であるゆえ、オンデマンド出版形態を確立し、同時に、自分で文化出版生産できる装置を、印刷屋と検証しながら創出していった。いままでの思考考察の集約であり、新たな出発の基盤である。
●2006
身体/セックスの政治 (三交社) A

『哲学の政治 政治の哲学』の第9章を、単行本化したもの。性の理論、ジェンダー理論の総括となっている。精神分析女性論にできるかぎり近づいた。フロイト/ラカンのいう「女性の謎」を、理論的にきりひらいていかないかぎり、歴史と本質との交点はみいだせない、その交点にランガージュ/ディスクールが表出している。
●2008.1
西部劇の文化学 (EHESC出版局) A

大好きな西部劇を、文化学的に考証、「失敗する男」のドラマを、総合史的に入門書として草稿を記したものだ。本格的西部劇論は、相当な厚さになろう、日々、これ以降、書き綴っている。ソーシャルなものをガンマンは撃ち殺している、人を殺しているのではない、それは象徴表象行為である。パブリックな存在が、もっともよく明示されているのが西部劇である。映画評論家たちにはなしえない、哲学的、社会科学的、思想的、精神分析的、人類学的、歴史学的な超領域西部劇論である。西部劇は、ほぼすべて観ている、ロンドンとパリで、日本未発売のDVDを探し歩いたものだ。
●2008.8
吉本隆明の思想 (三交社) A

吉本思想の体系的な論述。言語表出、幻想表出、心的表出、その3つの本質思想を機軸に、社会科学理論の可能性を拓くべく、世界線次元で理論化した。解説書ではない。文学論だけは残してある、別書として刊行する。
●2009.3
ミシェル・フーコーの思考体系 (EHESC出版局)

フーコーの思考体系を、知・真理、権力・規範、自己・主体の三角形を基盤に構成し、社会を防衛する統治性の政治理論次元をひらいた。
●2009.5
学校に子どもを殺されないために:
親と教師の思考ツール (星雲社発売) A

未収録であった教育論を収録、さらにいくつかを加筆した。教育の現象、教師論、学校論、教育知論、学ぶ行為論、ホスピタリティ教育論。内容は、2007年出版の『教育の政治 子どもの国家』(EHESC出版局)両者同じである。再版にあたって、新版と同時にタイトルを変えた別バージョンを市場の差異があると想定して同時につくってみる試みをした、500部の世界、儲けを狙ったのではない、市場差異があるのかどうかの実験だ。いじめがふたたび多発して来た世情にあわせて、61のタイトルでだした、ひとつの試みである。
●2009.12
イバン・イリイチ:文明を超える<希望>の思想
(EHESC出版局) A

後期イリイチをふまえて、イリイチ思想総体を再整理した。ブルデュー、フーコー、吉本、イリイチと、わたしの思想家論集4弾目となる。産業社会批判のイリイチのなかに、ホスピタリティの思想を見いだす。初発は、やはり究極の閾でもあった。最善が最悪となる文明のなかでの「希望」を見いだすために。