阿波弓夫氏から

わたしの友人の山本さんは、地図もなく、食べ物もなく、友達もいないところに出かけて、そこで地図を作り食べ物を見つけ食いつなぎ仲間を繋ぐ、そしていつ しかささやかなしかし確固としたわが王国を築き、さらにその王国で、新たな飛躍をうみだすべく、既存の安穏さへの反乱プロジェクトを全身全霊で実行に移そ うとする、ちょっとマルケス『百年の孤独』のマヌエル・ブエンデイアに似たところのある人です。

 1975年のメキシコ。こんな体たらくでは、教えても(日本語)責任持てないよ、もっとガッツリやろう、そういって山本さんは、たまたま糊口のために日 本語教師の職を 組んだメキシコ・シティ、コヨアカンの日本語学校でいっしょになった、支倉残留サムライ同然の我々に向かって説かれたころが忘れられな い。哲人イリイチと会いその人間から学び取ることを目指して、一直線にメキシコに入った山本さんは、牛の涎を見入るような我々の日々には、まさに全身これ 知と問いの塊、安穏として日本語を教えるわれわれにはとても厳しい存在であった。さしずめ、grito de la guerra! ホテルに泊まりこんで、みんなで作業したスペイン語用の日本語教科書作成、片や、イリイチとの密着学習、熱き青春の日々は、生活、思想、 社会実践の三位一体。そこから発信される、慧眼に満ちた定言の数々、口あんぐりの、我々支倉残留サムライにはさびしい思いをしたことであろう。クエルナバ カの、雨が降れば、ほぼ土石流と化す水路のわきに、幼い瑠理佳を抱え、原稿を抱え、パラダイムの転換と言われても・・・・ととまどう頼りない残留サムライ を抱えて、「冷蔵庫にはいま何も入ってないのだよ」と言いながら、わたしらに御茶請け代わりに今しがた発見したばかりのイリイチをまるで高熱にうなされる インデイオのように大きく目を開いて話す、あの彼こそ今の山本さんの原点でしょう。以来40年、ながいつきあいだ。支倉残留サムライは今も、その頃のこと を思い出しながら文章を書いている。
(大学非常勤講師
Projecto Paz(2013-14) コーデイネイター)