ぼんやりと日々のふとした出来事をつれづれなるままに、ときおり記します。なんでもないことごとです。

■学者という職業:研究者と大学教師のへだたり
大学教師になることでしか、生きていく糊口の道はなかった、これが、わたしの限界だったことでしょう。
学生時代、大学教師批判を徹底しましたが、そんな批判したような大学教師にはなるまいと、かなりこころしたとおもいますが、わたしたち世代以降、学生運動 は日本ではおこらなかった、そのとき自分がどうするか判断しようとしてはいたのですが、なさけないほど、若者たちは「安楽」の制度依存から脱出する動きを つくりだしませんでした。
国立大学が、独立法人化したとき、絶好のチャンスと大学改革の動きをしたのですが、八割がたの教官たちは、自分のテリトリーを守るだけ、経営を管理運営と かんちがいするそのありかたに、闘っても無駄だと意欲をなくし、定年前に退職してしまいました。やっと、肩の荷がおりた気楽さがもどりましたが、もう60 才をこえてからでした。
お金と人に責任をもっていない、ただ予算消化の管理のもとでの研究は、もう世界と断絶しています。研究所を創設し、現実に意味有る研究生産を大学の外でつ くり、いろいろな活動はしてきましたが、大学教師の専門不能の度合いのひどさには、はかりしれない知の停滞をおぼえます、2割ほどの優秀な学者が大学にも いますが、8割の無能な大学教師の多数決で、結局、なにごともうごかない、組織体の必然ともいえますが、大学の枠の外で、大学をこえてすぐれた研究者たち のネットワークを、国内・海外につくって協働作業をすすめていきました。無知な学生たちを前に、媚びたり偉ぶったり、そんな大学教師の環境状態にはうんざ りでした。しかも、人文・社会科学系は、年間研究費が10万円ほど、なにも研究などできない。他方、商業出版は、「わかりやすく、やさしく書け」と本の商 品化を要求してくる。そんななかでも、こころある出版社と協働して、いくつもの企画をうごかしましたが、信頼する編集者も亡くなられて、自分で自分のこと はしていくと、研究システムにくわえて出版システムもつくってしまいました。「依存」から、学問・研究がなされる筋合いはないと、思っています。
わたしが、ほんものの学者だと感じた方は、坪井洋文さん、白川静さん、おふたりだけです。そして、思想家の吉本隆明さん。あとは、ただ賢い方達、社交上手 な方がおられるだけ。戦後世代の、わたしたち以降、学者なるものは出現していないと感じています。そんな停滞状況で、研究生産だけは怠るまいと、日本アカ デミズムにかかわりない、世界線での考察をすすめています。その文化市場スケールは、1500から300へとおちこんでいますが、それで十分ではないで しょうか。 ただ、いっさい手をぬかない、心構えだけは貫いています。
大学教師は、単なる賃労働者、それは研究者にはなりえない条件におかれています。しかも、世間知らず、あまりにそれはひどいことは、自分を振り返ってみてそうです。なんとか、脱皮しようとしてはきましたが。
そろそろ、同世代がみな定年退職しますので、最後のなにかはできうるかなと、準備はしています。わたしは、わたしよりすぐれた学者・研究者としか協働しません。
大学の知性が停滞すればするほど、大学の擬制の権威がはばをきかせ、もはや、最低の状態へとおちこんでいる。
大学の時代は、終わった。経済と教育との非分離システムをつくりあげないとなりません。企業の側の知的退化は、もっとすさまじい。高度な知の生産と循環の場は、つくられてしかるべきなのですが。
わたし自身の経験からすると、欧米研究者はもちろんであるが、日本研究者であれ、自分の日本語への認識と、海外の3か国語ぐらいは最低、領有していない と、しかるべき思考がなされえることにはならない。言語間の相違と文化差異への認識なくして、学問が人文・社会科学においてなされうるとはいえない。語学 音痴のわたしでさえ、英語・西語・仏語にくわえ、独語、を了解、チェックする。また、欧米主義は、もっとも始末が悪い、非西欧世界のどこかをしっかりと認 識する努力を怠ってはならない、価値があまりにちがう存在への自覚なき横暴さ=無知さは、多々あやまつからだ。